blog
2019/06/05 00:59

・
・
バンドマンで充実していた時、
突然、脳こうそくを発病。
一人暮らしだったので、倒れてから発見されるまでに、まる二日がたっていました。
一時は生死の境を、さまよったらしいのです。
そして、目覚めた時には、重い障害がのこっていました。
後遺症は、失語症、聴覚障害、発音が困難になる構音障害、右手麻痺
「なぜ自分がこんなことに?? 声の出しかたがわからない。言葉をわすれてしまった。右半身(みぎはんしん)がうごかない」
しかも,小便はチューブ,大便はオムツの中,排泄(はいせつ)は人任せ,食事は鼻からチューブ。
34歳で,見事に俺の人生は終わった。
これ以上,生きたとしても,何ひとつ,いいことはないだろう。
「もう死んだほうがましだ」と、くり返し絶望が襲った……
「死」がボクを強く誘っていました・・・・・・・・・
病院の屋上に行ったら、自殺防止のためか、ぐるりとフェンスで囲まれている。それを見て少し安心したくらいです。
・・・
・・
本当の絶望を経験された方は、
「周りの景色がモノクロになる」
と言われますがボクも本当にそうなったのです。
・・・
・・
・
本気で思った。
しゃべれる薬があれば1億円でも買うわ!
言葉の聞き取りが出来る薬があれば1億円でも買うわ!
右手が動く薬があれば1億円でも買うわ!
わぁ~合計3億か・・・・・
・
無理無理・・・・・・
・
友達とくだらない話をしたり、
しょうもない話で笑ったり、
なんてことない会話、
ありふれた日常の挨拶、
すべていとおしいことだった。
声が出るあのころが懐かしい。
ギターを弾いていたあのころは幸せだったなぁ
歌を聞けるって幸せだったなぁ~
俺は幸せだったなぁ~
俺は幸せだった。
俺は幸せだった・・・・・・・
幸せだった・・・・・・・・
・・・・・・
・・・・・・
あ!
・・・・・・
あ!
・・
まさか!
初めから3億分の幸せがあったのか!
・・
・
もしかしたら、
俺は幸せの海にいたのか!
その海から一歩外に出たら、よくわかった。
・
・
今まで、つばを飲むことにも、呼吸を出来ることにも、声が出ることにも、言葉の聞き分けができることにも、両手が動くことにも感謝したことがない。
・・
・
これほどありがたいことだったのに感謝することにさえ気がつかなかった。
オレって産まれた時からありがとうで埋め尽くされてるやん!と気づいたのです。
周りの景色もだんだん色づく世界に戻りました。
・・
・
当たり前のことがどれほどありがたいことだったか、
どれほど幸せだったか、
そして普段の感謝が大事だとまた気づかされました。
病気の原因のひとつは「感謝不足」だと気づかされました。
・・
・
この気づきは、後々ボクが「ありがとう人間」になるきっかけになりました。
だから、人間にとって大事なことを気づかせてくれた病気に感謝します。
病気になってよかった。
障害者になってよかった。
・・
・
天はこの真理に気づかせるためにボクにこの障害を与えたとすら思ったのです。
幸せとは
なるものではでなく
手に入れるものでなく
のぞむものではなく
気付くもの
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
最後までお読みいただきありがとうございました。
生でこの原画をご覧頂ければ嬉しいです。