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2019/06/18 21:47
いつもお世話になっているタオル美術館の個展で、
「この本に感動しました!何度も泣くところがありますね!」と言われました。
とても嬉しいかったので「ありがとうございます!!『許す』のくだりですね!」と書いたら
「いいえ!『幽霊が乗るタクシー』です!」
ボクはちょっとした感動でした。この方の優しさに。
この話とは20年間勉強してるコスモロジー(宇宙学)の会員制月刊【宇宙の理】502号に紹介された人事相談です。
ご相談者の名前など個人を特定するものを公表しないという条件の下、転載の許可を頂きましたので、ご紹介させていただきます。
(ご相談)
『私は長年、仙台でタクシーの運転手をしております。
あの東日本大震災の後、私は何度となく、いわゆる幽霊を乗せているのです。
忘れもしない、最初は震災後五ケ月くらい経った時で、
幹線道路の瓦皪はきれいに徹去され始め、少しずつ仕事が始まった頃だったと思います。
夏の蒸し暑い夕方、先のお客さんを郊外まで送り届け、
小高い丘から下った曲がり角で、普通にお客様を拾いました。
お客様を乗せてドアを閉めると「○○までお願いします」と言われたものですから
「お客さん、今、あそこは何もありませんよ」と言って振り向くと誰も乗っていないんです。
「あ~」
そのあとはもうがむしゃらにルームミラーを見ないようにして、とにかく明るい町に出るように急ぐのです。
すぐに次のお客さんを拾えなければ、その日はまっしぐらに帰社します。
ものすごく後味が悪く、そのような時はいったいどうすれば良いのでしょうか。
以前から、私はそういうことに遭遇することはなかったのですが、震災以降、もう五回も同じような目に遭っているのです。
そのような目に遭うのは何か意味があるのでしょうか。
どなたにも話すことが出来ず苦しい毎日を送って、再び乗っけてしまうんじゃないかってビクビクする毎日を送っています。最近転職も考えております。どうか宜しくお願い致します。』
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宇宙の理からのお返事
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『未曾有の大災害となった東日本大震災でお亡くなりになった方は、一万五千人を超え、今も尚行方不明の方は二六〇〇人以上いらっしゃるそうです。
もし仮りに、お亡くなりになった方であろうとなかろうと、依頼された方は、タクシーでその場に行こうとなさって居られるために頼まれたのだと思います。
その思いにきちんとご対応なさって差し上げ、例えそこが津波でもう跡形もなくなっていても、その場に連れて行って差し上げれば如何でしょうか。
その人にしてみれば、きっと実際に行ってみたいのだと思います。推測の域を脱し得ませんが、昔の町に戻ろうとしても昔の面影はなくなっているために、そこだとわからない。
或いは認めたくないお気持ちがおありになるのかも知れません。
でも頼まれたからには、きちんとその場へ行って差し上げれば、納得してくださるのではないでしょうか。
ご自身で確認することが出来ないために、プロにお尋ねになっているのかもしれません。
あなたのご懸念はよくわかります。
でも、悪さをしたり、取り憑いたりするようなことはないです。
純粋に、そこへ行きたいという思いで必死になって居られるのでしょう。
だったら例え町の様子が一変していても、
その場へお送りするのが宜しいのではないでしょうか。』
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宇宙の理からの付記
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『その後,再びそのようなことが起こり、現場まで車を走らせ「お客さん、このあたりですよ」と言って誰もいないのですが、
取り敢えずドアを開けて降りるタイミングを見計らって戻られたそうです。
暫く走らせたあと、ミラーで確認すると、
遠くで大きくお辞儀をされていた姿が写って、
その次の瞬間、
「あ~、これで良かったんだ」恐いというより、満足感の方が大きかったそうです。
オカルト映画などで「幽霊や死者は怖い」というイメージが広く浸透してしまっていますが、元々は同じ私たちと同じ人間です。思いも私達と一緒なのです。恐がる必要は本当は何もないのです。』
死ぬこと自体は、肉体を脱ぐだけで、それほど怖い、悲しむ、大変なことじゃないということがわかってきます。
幽霊も元々は私たちと同じ人間です。
思いも一緒なのです。
恐がる必要は本当に何もないのです。
愛を以て考えれば、恐れるものは存在しません。
ただ、ボクは「人生は一度きり」とか「死んだら無」と言う人や、執着の固まりの人が、本当に可哀相だと思います。
今からでも遅くはありません。
目には見えない世界をちょっとだけでも学んだら、
より幸せになると確信します。
ありがとうございます。
合掌 たけ