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2021/03/10 11:48
『翼がくれた心が熱くなるいい話 志賀内泰弘』(PHP研究所)から引用します。
アカネが配属されているJALマイレージバンクの事務局に、今から30分ほど前の午後5時12分、その電話はかかってきた。
「あの…、マイレージのことで相談に乗っていただきたいのですが…」
それは年配の女性の声だった。
「はい、どのようなご用件でしょうか」
「マイレージの名義を夫から変更したいのです」
「と申しますと…」
「夫が亡くなりまして」
「それは… ご愁傷(しゅうしょう)さまでした」
こうアカネが答えると、女性は沈黙してしまった。
「お客様、どうかなさいましたか」
「いいえ、なんでもありません。大丈夫です」
アカネは、その女性が「大丈夫です」と口にしたことがかえって気になった。
「それでは恐れ入りますが、まずお客様のご主人様のお名前を教えていただけますか?
もし、お手元にマイレージカードがございましたら、お得意様番号をお知らせください」
「はい、はい。…ええと」
アカネは、普段どおりに相続手続きの方法について説明をした。
遺産分割協議書などの書類をすでに作成しているかなどを訊き、
印鑑証明の添付が必要な旨を説明。
もし、それがなければ、こちらから相続手続きに関する所定の用紙を送付することを告げた。
女性は、その間、ほとんど頷(うなず)くかのように聞くだけ一方といった感じだった。
それが、一層、アカネには不安に感じられた。
「お手数ではございますが、よろしくお願いいたします」
「はい」
「それでは、奥様、どうぞお身体を大切になさってください」
そう言って、アカネが電話回線のスイッチを切ろうとしたそのときだった。
「ぐっ」言葉にならない、ため息のような、
いや、嗚咽(おえつ)にも似た声が聞こえた。
アカネは、思わず問いかけていた。
「どうかなさいましたが、お客様」
「うう…」
今度は、明らかにそれが泣き声だとわかった。
「お客様…」
何か自分は悪いことを口にしてしまったのだろうか。
この5分間ほどのことが頭の中を駆け巡った。
通常の業務内容、ありきたりの会話だったはずだ。