news
2025/08/18 21:00
◆◆◆◆*◆◆◆◆*◆◆◆◆
本日のメルマガ
◆◆◆◆*◆◆◆◆*◆◆◆◆
昨日のメルマガでは
まーちゃんから教えてくれた
悲話の一つを調べてまとめました
敵兵の子をみごもって
~語られなかった二日市中絶病院~
今日もまーちゃんから教えてくれた
悲話の一つを調べてまとめました
「鬼の指揮官」と呼ばれた男
知られざる本当の「優しさ」
まーちゃんが素晴らしいのは、
日本国内はもちろん、
遠くパラオの地まで赴き、
祖国のために命を捧げた英霊を慰霊していることです。
戦後70年という節目の年には、
天皇皇后両陛下(現上皇上皇后両陛下)もまた、
戦没者の慰霊と平和への祈りを捧げるため、
パラオ共和国を訪問されました。
当時、宇宙学の月刊誌『宇宙の理』には、
「現世をさまよい続けていた英霊たちが、
両陛下の訪問を心から喜んでいた」
という記事が掲載されました。
まーちゃんの行動は、
天皇陛下のお気持ちと通じるものがあり、
それがきっと、
英霊たちの魂を深く癒しているのではないでしょうか。
遠く南洋に浮かぶ島、パラオの物語
青く澄んだ海に囲まれたその島は、
今でこそ楽園として知られています。
今でこそ楽園として知られています。

しかし、80年前の壮絶な戦いの爪痕は、
今もなお、生々しく残っているのです。

そこに立つと、時が止まったかのように感じます。
頭部を撃ち抜かれた日本兵のヘルメットが、
ひっそりと横たわっている。
ひっそりと横たわっている。
それは、パラオ・ペリリュー島が抱える、
拭い去れない記憶でした。
拭い去れない記憶でした。
この島の守備を任されたのは、中川という名の指揮官でした

当時、東洋一の飛行場を持つこの島は、
アメリカ軍が喉から手が出るほど欲しがっていた戦略拠点。
アメリカ軍が喉から手が出るほど欲しがっていた戦略拠点。

中川は、満州で最強と謳われた部隊を率いて、
この島へ送り込まれたのです。
中川が島に到着して間もなく、
信じられない出来事が起こります。
信じられない出来事が起こります。
島に住むパラオの人々が
「私たちも日本兵と共に戦いたい」と
中川に直訴してきたのです。
「私たちも日本兵と共に戦いたい」と
中川に直訴してきたのです。
彼らは、長年共に暮らしてきた日本兵たちを
「日本人と変わらない」と信じていました。
「日本人と変わらない」と信じていました。
しかし、中川は言い放ちます。
「この土人めが!大日本帝国陸軍が、
お前たちと一緒に戦えるか!
お前たちと一緒に戦えるか!
今すぐ本島に帰れ!」
新しく来た指揮官の、あまりにも冷酷な言葉に、
パラオの人々は涙を流しました。
パラオの人々は涙を流しました。
それまで仲良くしていた日本兵とは違う、
中川の言葉に深く傷つき、悲しみに暮れたのです。
中川の言葉に深く傷つき、悲しみに暮れたのです。
彼らが用意された船で本島へ向かう時でした。
ペリリュー島の浜辺に集まった日本兵たちが、
一斉に立ち上がり、
船に向かって手を振りながら歌を歌い始めたのです。
一斉に立ち上がり、
船に向かって手を振りながら歌を歌い始めたのです。
それは、涙ながらに故郷を離れる彼らへ向けた、別れの歌でした。
その瞬間、パラオの人々は悟ったのです。
「わざとだ…」
中川は、わざとひどい言葉を使い、
彼らを怒らせ、島から遠ざけようとしていたのだと。
彼らを怒らせ、島から遠ざけようとしていたのだと。
それは、来るべき激戦に、
非力な彼らを巻き込まないための、
中川なりの精一杯の配慮だったのです。
非力な彼らを巻き込まないための、
中川なりの精一杯の配慮だったのです。
そのおかげで、島の住民たちは一人残らず、
この戦禍を生き延びることができたのです。
この戦禍を生き延びることができたのです。
ペリリュー島は、岩がむき出しになった険しい地形と、
深いジャングルに覆われた要塞でした。
アメリカ軍は、たった3日でこの島を制圧できると豪語し、
上陸してきたのです。
深いジャングルに覆われた要塞でした。
アメリカ軍は、たった3日でこの島を制圧できると豪語し、
上陸してきたのです。
しかし、日本兵たちは待ち構えていました。
アメリカ海兵隊最強部隊の第一陣は、
上陸した瞬間に待ち伏せの猛攻を浴び、
まさかの撤退を余儀なくされます。
アメリカ海兵隊が部隊単位で撤退したのは、
このペリリュー島が最初で最後と言われるほどでした。
このペリリュー島が最初で最後と言われるほどでした。
日本兵1万人に対し、アメリカ軍は5万人。
兵力差は1対100とも言われる絶望的な状況。
それでも日本兵たちは、3日で落ちると言われた島を、
2ヶ月間守り抜いたのです。
2ヶ月間守り抜いたのです。
でも
1万の日本軍の中、
生き残ったのは30人

そして、中川が自決したのです
まーちゃんたちは、皆で「ふるさと」を歌いました。
その時、胸にこみ上げてきたのは、ひとつの思いでした。
私たちは、次の日には日本に帰れる。
家族が待っている。友がいる。仕事がある。
家族が待っている。友がいる。仕事がある。
でも、この島で散っていった1万人の兵士たちに、
帰る場所はありませんでした。
帰る場所はありませんでした。
本当は、帰りたかったはずです。
では、なぜ彼らは戦ったのでしょうか。
なぜ故郷を思って、この場所で命を捧げたのでしょうか。
なぜ故郷を思って、この場所で命を捧げたのでしょうか。
それは、本土にいる家族を、そして日本を守るため。
一刻でも長く、アメリカ軍をこの島に引き止めることで、
愛する人たちが暮らす故郷に、
愛する人たちが暮らす故郷に、
戦火が及ぶ時間を遅らせたかったから。
彼らは、そうして私たちに未来を繋いでくれたのです。
~~~~
まーちゃんのいきまる
【戦後80周年 特別ZOOM講演】
むちゃくちゃよかった。
本当に!!!!
泣きそうになった悲話にありました。
ぜひアーカイブをご覧ほしい
~~~~
メルマガの感想などはこちらまで
メルマガって一行通行だから
愛読者さんからのラインは
むちゃくちゃ嬉しいです。
たけ公式ライン
■https://line.me/R/ti/p/%40mkj4208e
もしこのメルマガが面白い!と思っていただけたら、
あなたの友人にもおススメいただけると嬉しいです
■『シン・たけの波瀾万丈ドンと来い!!!』
↓↓↓
https://resast.jp/subscribe/265447