「私の大事なものにさわらないで」
生まれたばかりの娘を母が初めて抱っこした瞬間、 強くそう思いました。
あなたには私の娘を抱く資格はない、 早く帰ってほしい、と激しい怒りがわいたんです。
きれいで、頭がよくて、教師という尊敬される 職業についていた母。
私は母のようになりたかった。
いつも母にほめてほしかった。
だから、いつもがんばった。
でも母は、私が何を しても、 ほめることはありませんでした。
「テストで九十点とったよ」と伝えると、
「どこを間違えたの?次は百点とらなきゃ」。
ピアノの発表会であこがれの「エリーゼのために」を 弾くことが決まったときは、 「同級生の○○ちゃんは、去年、弾けていたのね」。
そうやって母は、 自分の理想から引き算をして私を評価しました。
世間体をすごく気にしていましたね。
私にとって母は絶対的な存在で、 ダメな自分が悪いのだと当たり前に思っていました。
思春期になって母との関係がこじれはじめました。
決定打は、私が高校生のときに両親が離婚したこと。
完璧で、人の目を気にして、 それを私にも求めたのに、 母自身が「最もみっともない」 と言っていた離婚を簡単に決めてしまったんです。
しかも、私には、離婚の原因は母にあるように見えました。
母に対して「女」を感じて、気持ち悪かった。
こんな人にほめてもらいたくて、 私は今までがんばってきたのか......。
母を憎みました。
この葛藤は、大人になれば解消されると思っていました。
売れてたくさんお金を稼けば、 結婚すれば、 子どもができれば、 自分に自信が持てて母を許せるのかも、と。
でも、それは違いました。
関係がこじれにこじれ、 おたがいの溝は深まる一方。
期待していた自分にがっかりしました。
母のためではなく、私のために 私が四十四歳のときに、 母が末期がんということがわかりました。
同じ空間で同じ空気を吸うのも嫌な母が、 この世から消える。
解放感を覚えるどころか、とてもショックでした。
私の一部が崩れていくような喪失感があったんです。
同じころ、私に肺腺がんが見つかりました。
初期での発見でしたが、 また病気になるかもと不安はいつもありました。
数年前に離婚してシングルマザーになり、 そのころからパニック症になっていたこともあって、 娘や仕事、お金のことも次々と不安になって、 まさに八方ふさがり。
この苦しみだらけの状況をなんとかしたい一心で、 友人に母のことなどを話しました。
「これが最後のチャンスだよ。
親孝行は道理。
親と仲直りすると、自分がラクになれるよ。
できるよ、やってみたら」
これまで何度も母との関係を修復しようとして、 そのたびに挫折し続け、三十年が経っていました。
でも、そのときは、友人の言葉を素直に聞くことができて、 やってみようと思えたんです。
「自分がラクになれるよ」
という言葉にすがりたいほど追いこまれてて.....。
母のためではなく、完全に私自身のためでした。
それから、母が亡くなるまでの約三ヵ月間、 毎週、東京の自宅から母のいる 愛知県のホスピスに車で通いました。
笑顔で話しかける、母の手をさする、娘のことを伝える。
毎回そんな目標を決めて、 うまくできるよう車の中で必死に練習しました。
気が重くて心が折れそうになったり、 帰り道に自己嫌悪におちいったりすることばかりでしたが、 人間、心がついていかなくても行動はできる。
そう思って、一番しんどい場所に通い続けました。
最終的に、とてもラクになりました。
私にとって一番難しかった 「いい空気感の中で母とたわいもない話をする」 ことができた。
その中で、「あ、この人、私のことを好きなんだ」
と感じる瞬間もあって、自分の中の空っぽな部分が 満たされていくような気がしました。
和解できたと確信した瞬間 母と和解できたと確信したのは、 母が亡くなったときでした。
もう母のことを嫌いじゃないと気づいたんです。
不思議ですが、月日が経つほど 母のことが好きになっていきます。
亡くなって四年になる今は母が私の一番の味方です。
昔は母の写真を見るだけでも嫌だったのに、
今は車の中に母の写真を置いて、
悩みがあるたびに語りかけています。
母と和解できたことで、
自分に対する認識も変わりました。
自分のことを嫌いではなくなったんです。
娘に対する自分の声色や表情が母にそっくりだな、 と感じる瞬間があります。
以前の私なら「嫌だな」と思ったし、 そう感じる自分を責めていました。
でも今は、どこかなつかしくて、 自分の中に母を見ることが嫌ではないのです。
もっと前から母に向き合っていれば、 ここまで生きづらさを抱えなかったかもしれない。
そんなふうに、 少しもったいないような気持ちになることもあります。
母との関係修復は、私の今までの人生の中で間違いなく 一番エネルギーを使ったことです。
おそらく、私が死ぬ前に一番努力したこととして 思い出すのも、母との関係だと思います。
それだけのエネルギーを使っても、 母と最後に向き合えてよかったと思っています。 (月刊PHPより)
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