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今日のテーマは
【実るほど頭がさがる稲穂かな】
故)小林正観さん
ボクが大好きな方でたくさん影響を受けています。
小林正観さんのグッズ販売する」
『うたし』の友達から
「たけさん、この本いいよ!」と
「すべては見方次第」高島亮 という本を頂きました。

高島亮さんは 東大卒で 正観さんの一番弟子。
夢中に読んだ正観節が蘇る。
一番弟子だから 隣から見る正観像がむちゃリアル。
『正観さんは いつも変わらない人でした。
誰に対しても変わりませんでした。
人のことは必ず「さん」づけで呼びます。
相手が年上であるか年下であるかにかかわらず、
いつも丁寧な言葉づかいをしました。
声を荒げたり、怒鳴ったりすることもありません。
誰かに偉そうな態度をとったり、
人によって態度がガラっと変わることもありませんでした。
目の前の人に淡々と おだやかに 、
誠実に接するその姿勢は、 常に一貫していました。
とにかく、いつどんなときも、
どこでも、誰に対しても変わらない人。
それが正観さんでした』
素晴らしいですね。
ボクもそんな人になりたいとです。
世の素晴らしい経営者、
大スターに共通することは、
「謙虚さ」ではないでしょうか。
人生観、経営哲学から、熱意、人徳、優しさなど、
すべてが謙虚な姿勢から滲み出ているのではないかと思います。
松下幸之助下さんは
子どもの頃は貧乏で一家離散、
病気がちで体が弱く、
学歴もなく最終の学歴は小学校中退です。
松下幸之助さんは、 だから、成功できたと言う。
「貧乏で、 人を物心両面で豊かにすることを考えた」
「体が弱かった、だから人に助けてもらい、成功する事ができた」
「学歴がないから、人の話をよく聞いて、教えてもらえた」
「謙虚さ」と「前向き」に考える人だったという。
お金がない、学問がない、病気がちであったという、 幼少期からのないないづくしの 人生経験の中から謙虚さが身に付いたと考えられます。
たけは ビートたけしさんと一緒に 個展したことがあります。
未だ、うそのように思います。
あれは 脳こそくを発病してから絶望の時を重ねて、
二ケ月ほどたったある日、
以前に見た北野武さんの映画「HANA-BI」の中で、
大杉漣さんが演じた、 すべてを失った刑事が車椅子に乗りながら 絵をかき始めていたシーンを思い出したんです。

赤いベレー帽をかぶり絵を描くことで
生きる喜びを見い出した刑事。
未だに忘れられないシーンです。
全てを失ったボクも「絵でもかこう」と、
なんとなくリハビリ病院の近くにあるロフトで
安いスケッチ・ブックと筆を買いました。
病室に帰って、残った左手で筆をもちました。
そして、動かない右手を描いてみました。
「あ!」
まったく不思議でした!
言葉はなかなか出てこないのに、
筆ならスラスラとおどるようにかける!
絵をかくことは小学生の図工の授業以来なのに,
なんと左手で絵が描けるんです。
詩画家たけが誕生した瞬間です。
絶望が希望に変わった瞬間です。
そして、 たけしさんの映画のおかげでです。
お礼を言いたいと たけしさんにお手紙を送りました・・・・・
「私の人生を変えてくれた映画を作ってくださって
ありがとうございました。
アンビリバボーではご紹介くださって ありがとうございました。
実は五周年で大阪タカシマヤで個展をします。
ずうずうしくお願い申し上げます。
ご一緒に個展をしましょう」」
今、思えば世界のキタノさんに、
よくこんなにも 厚かましい手紙を送ったものです
これで『感謝の先取り』のチカラを 借りて 結果、出展くださったのです!

世界のキタノさんの絵が 「たけの世界」の個展にあるって、 今だ、うそのように思います。
オフィスキタノの人に
タカシマヤの担当者が
こわごわと聞いています。
「失礼ですが、 1週間の出展は いくらでしょうか?」
すると無料でいいと。 !!!!!!!!
この個展を取材した新聞記者がたけしさんに聞いた。
「善意という大げさなことではなく
自分の絵が何かお役に立てればという気持ちだった」
感謝しかありません。
日本一のスターは 日本一デカい器です。
北野武さんは修業時代に師匠に命じられて以来、
今もトイレ掃除を続ける。
外出先でも素手で便器を洗うそうです
北野武タケシさんが「謙虚」を語る。
「自分は何もわからないってことがわかると、
人間は謙虚になる。
謙虚になってはじめて、
人間は何かを学ぶことができる。
どんなに歳をとっても、 偉くなっても、
自分が何も知らないってことを 忘れちゃいけない。
無知の知というのは、 そういうことをいっているんだと思う」 (引用:新しい道徳)
このテーマは足明日まで続きます
楽しみにしてください