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2026/08/10 23:11
まずは、今日添付した1枚前の写真を
見ていただきたいのです。
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報道写真家ジョー・オダネル撮影 「焼き場に立つ少年」 (1945年長崎の爆心地にて)
『佐世保から長崎に入った私は、 小高い丘の上から下を眺めていました。 すると、白いマスクをかけた男達が目に入りました。 男達は、 60センチ程の深さにえぐった穴のそばで、 作業をしていました。 荷車に山積みにした死体を、 石灰の燃える穴の中に、 次々と入れていたのです。 10歳ぐらいの少年が、 歩いてくるのが目に留まりました。 おんぶひもをたすきにかけて、 幼子を背中に背負っています。 弟や妹をおんぶしたまま、 広っぱで遊んでいる子供の姿は、 当時の日本でよく目にする光景でした。 しかし、この少年の様子は、はっきりと違っています。 重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという、 強い意志が感じられました。 しかも裸足です。 少年は、焼き場のふちまで来ると、硬い表情で、 目を凝らして立ち尽くしています。 背中の赤ん坊は、ぐっすり眠っているのか、 首を後ろにのけぞらせたままです。 少年は焼き場のふちに、 5分か10分、 立っていたでしょうか。 白いマスクの男達がおもむろに近づき、 ゆっくりとおんぶひもを解き始めました この時 私は、 背中の幼子が既に死んでいる事に、 初めて気付いたのです。 男達は、幼子の手と足を持つと、 ゆっくりと葬るように、 焼き場の熱い灰の上に横たえました。 まず幼い肉体が火に溶ける、 ジューという音がしました。 それから、 まばゆい程の炎が、 さっと舞い立ちました。 真っ赤な夕日のような炎は、 直立不動の少年のまだあどけない頬を、 赤く照らしました。 その時です。 炎を食い入るように見つめる少年の唇に、 血がにじんでいるのに気が付いたのは。 少年が、あまりきつく噛み締めている為、 唇の血は流れる事もなく、 ただ少年の下唇に、赤くにじんでいました。 夕日のような炎が静まると、 少年はくるりときびすを返し、 沈黙のまま、焼き場を去っていきました 撮影したのはアメリカ人カメラマン、ジョー・オダネル。 2007年8月9日、亡くなった。 占領軍として原爆投下後の長崎に入り、 その破壊力を記録するため写真を撮影する一方で、 軍に隠れ内密に自分のカメラでおよそ30枚の写真を記録した。 帰国後、被爆者の記憶に悩まされ、 悲劇を忘れ去ろうと全てのネガを 自宅屋根裏部屋のトランクの中に閉じこめ、 43年間封印してしまう。 しかし晩年になって 原爆の悲劇を訴え 母国アメリカの告発 に踏み切っていく。 原爆投下を信じる周囲から非難の声を浴びながら、 85歳の生涯を閉じた。 |
