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2026/08/11 09:17

昨日のメルマガを見てくれました?

テーマはですね、

『敵兵の子をみごもって ~語られなかった二日市中絶病院~』でした。 

 

 

まさに、日本人が知らなければいけない歴史です。

戦争の悲劇を語るとき、

国のために命を捧げた「英霊」たちのことを想いますが……

それだけではなかったのです。

子供たち、

そして、

日本の未来を守るために身を切り裂かれる

思いをした母たちがいました。

この話をまーちゃんから聞いたとき……

ボクはもう、涙が止まりませんでした。

まーちゃん(鈴木まさひろさん)の

本当に素晴らしいところはですね、

日本国内の歴史を紐解くだけでなく、

遠く南洋のパラオの地まで実際に赴いて、

祖国のために命を捧げた英霊たちを

慰霊し続けていることです。

戦後70年という節目の年には、

天皇皇后両陛下(現上皇上皇后両陛下)もまた、

戦没者の慰霊と平和への祈りを捧げるため、

パラオ共和国を訪問されました。

 

当時、宇宙学の月刊誌『宇宙の理』には、

このような記事が掲載されました。

「現世をさまよい続けていた英霊たちが、

両陛下の訪問を心から喜んでいた」と。

地球時間で70年が経っても、

成仏できない英霊たちがたくさんいる……

その事実を知って、ボクは胸が締め付けられました。

まーちゃんの行動は、

天皇陛下のお気持ちと深く通じるものがあり、

それがきっと、

英霊たちの魂を優しく癒しているのだと思います。

遠く南洋に浮かぶ島、パラオの物語です。

青く澄んだ海に囲まれたその島は、

今でこそ楽園として知られていますが……

 81年前の壮絶な戦いの爪痕は、

今もなお、生々しく残っています。

そこに立つと、時が止まったかのように感じるそうです。

頭部を撃ち抜かれた日本兵のヘルメットが、

ひっそりと横たわっている。

それは、パラオ・ペリリュー島が抱える、

拭い去れない記憶です。 

当時、東洋一の飛行場を持っていたこの島は、

 アメリカ軍が喉から手が出るほど

欲しがっていた戦略拠点でした。

この島の守備を任されたのは、

中川州男(なかがわ くにお)陸軍大佐。

映画や漫画、ドラマのモデルにもなった人物です。 

 『ペリリュー -楽園のゲルニカ-』
 
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彼は、満州で最強と謳われた部隊を率いて、

この島へ送り込まれました。

中川大佐が島に到着して間もなく、

信じられない出来事が起こります。

島に住むパラオの人々が、

「私たちも日本兵と共に戦いたい」

と直訴してきたのです。

長年共に暮らしてきた日本兵たちを、

彼らは「日本人と変わらない」と

信じて慕っていたからです。

しかし、中川大佐はこう言い放ちます。

「この土人めが!

大日本帝国陸軍が、お前たちと一緒に戦えるか!

今すぐ本島に帰れ!」

新しく来た指揮官の、あまりにも冷酷な言葉。

パラオの人々は涙を流しました。

それまで仲良くしていた日本兵とは違う言葉に深く傷つき、

悲しみに暮れたのです。

そして、彼らが用意された船で本島へ向かう時でした。

 ペリリュー島の浜辺に集まった日本兵たちが、

一斉に立ち上がり…… 船に向かって手を振りながら、

歌を歌い始めたのです。

それは、涙ながらに故郷を離れる彼らへ向けた、別れの歌でした。

その瞬間、パラオの人々は悟ったのです。

「わざとだ……」と。

中川大佐は、わざとひどい言葉を使い、

彼らを怒らせ、島から遠ざけようとしていたのです。

来るべき激戦に、非力な彼らを巻き込まないための……

中川大佐なりの、精一杯の愛と配慮だったのです。

そのおかげで、島の住民たちは一人残らず、

この戦禍を生き延びることができました。

ペリリュー島は、岩がむき出しになった険しい地形と

深いジャングルに覆われた要塞です。

アメリカ軍は「たった3日で制圧できる」と豪語して上陸してきました。

しかし、日本兵たちは待ち構えていました。

アメリカ海兵隊最強部隊の第一陣は、待ち伏せの猛攻を浴び、

まさかの撤退。

アメリカ海兵隊が部隊単位で撤退したのは、

これが最初で最後と言われています。

日本兵1万人に対し、アメリカ軍は5万人。

兵力差は1対100とも言われる絶望的な状況の中で……

日本兵たちは、3日で落ちると言われた島を、

なんと2ヶ月間も守り抜いたのです。

でも…… 1万人の日本軍の中で、生き残ったのはわずか30人でした。

そして、中川大佐は自決しました・・・・・

まーちゃんたちは、パラオの地で、

皆さんで「ふるさと」を歌った

 その時、胸にこみ上げてきたのは、ひとつの思いでした。

「私たちは、次の日には日本に帰れる。

家族が待っている。友がいる。仕事がある。」

でも、この島で散っていった1万人の兵士たちに、

帰る場所はありませんでした。

本当は、帰りたかったはずです。

では、なぜ彼らは戦ったのでしょうか。

なぜ故郷を思って、この場所で命を捧げたのでしょうか。

それは、本土にいる家族を、そして日本を守るためです。

一刻でも長く、アメリカ軍をこの島に引き止めることで、

愛する人たちが暮らす故郷に、

戦火が及ぶ時間を遅らせたかったからです。

彼らは、そうしてボクたちに未来を繋いでくれたのです。

ボクたちは、こんなにも強くて優しいご先祖様たちの、

「命のリレー」の先端に立っています。

過去の悲しみを乗り越えて、ボクたちが今、ここで笑い合えること。

 それは決して当たり前ではありません。

ご先祖様たちの愛の結晶が、今の私たちなのです。

だからこそ、正しい歴史を知り、

未来へ受け継いでいかなければなりません。

8月22日(日)のZOOM講演、

『まーちゃんのいきまる』で、

一緒にこの知られざる真実を受け取りませんか?

 夏休みですので、ぜひ子供たちも一緒に聞いてください。

きっと、あなたの心に深く響き、これからの生きる力になるはずです。

まーちゃんのお話は、

一人でも多くの方にお聞きいただきたいと、

心から願っております。

終戦81周年「歴史の点と線」 〜命と感謝のバトンを未来へ〜

 歴史の裏側を旅する理容師 鈴木まさひろ

▼詳細・お申し込みはこちらから▼ https://www.reservestock.jp/events/1165776

8800円以上で 全国送料無料!

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