ところが、そのわずか三日後の8月18日。
国際法を無視し、
日ソ中立条約を破ったソ連軍が、
突如としてこの島に攻め入ってきたのだ。
スターリンの狙いは、
北海道の北半分を手中に収めること。
平和を信じて無防備になった日本の隙を突き、
一気に攻め落とす計画だった。
彼らは知っていた。
この島を奪われれば、次に来るのは北海道だ。
日本の北の玄関口を守るため、
自らが「民族の防波堤」となる。

故郷への道は閉ざされた。
だが、彼らは愛する人々のいる故郷を守るため、
再び銃を手に取った。
彼らの指揮官は「戦車隊の神様」と
呼ばれた池田末男(すえお)少将。

部下たちを深い愛で包み込み、
「お前たちは私に仕えているのではない。
国に仕えているのだ」と諭したという、人格者だった。
池田少将は、決戦を前に部下たちに問いかけた。
「我々は赤穂浪士のように恥を忍び、後世に仇を報ずるか。
それとも、白虎隊となって、民族の防波堤となるか」

全員が迷うことなく、「白虎隊」となる道を選んだ。
兵士たちの士気は限界を超えていた。
彼らは自らの命を顧みず、
押し寄せるソ連軍の進撃を食い止めた。
特に、日魯漁業(現マルハニチロ)で働いていた
約400名の女性たちを避難させるため、
命がけで援護射撃を行った

その命がけの戦いがあったからこそ、
女性たちは北海道へ
無事にたどり着くことができたのだ。
この壮絶な戦いは、4日間にわたって続いた。
日本兵の死者は約800人。
対するソ連兵は3,000人以上もの死者を出した。
日本軍の想像を絶する抵抗に、
ソ連軍は戦意を喪失し、
停戦を求めてきたほどだ。
ロシア共産党の新聞は、
この日のことを「ソ連人民の悲しみの日」と報じた
この戦いがいかに激しく、
そして日本軍がいかに勇敢だったか、
ソ連側が自ら認めたのだ。
しかし、悲しいかな、日本は敗戦国だった。
彼らは勝利したにもかかわらず、武装解除し、
過酷なシベリア抑留という運命をたどることになる。
彼らが命をかけて守った故郷を、
二度と踏むことが叶わなかった
故郷に帰ることを諦め、
未来の日本のために戦った無名の兵士たち。
もし、あの時、池田少将が退却を
選んでいたらどうなっていただろうか。
もし、あの戦いに敗れていたら、
北海道は分断され、
今頃、北半分はロシア領になっていたかもしれない。
彼らは、ただ黙って
国と家族を守る「防波堤」となった。
彼らが命を賭して守った故郷。
しかし、
その英雄的な戦いを知る人は、
地元愛知県の人ですら少ない。