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2026/08/21 10:59

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国内に目を向けると、現実は少し違います。
皆さんは、学校でどんな教育を受けましたか?
「君が代を歌わなくてもいい」ではなく、
「歌ってはいけない」と教えられた人もいるかもしれません。

*この画像の東京都の教師Nさんは、都の「日の丸・君が代」強制に抗して不起立を続けてきた
君が代を歌わないリベラルの主張は、
・強制への反発、
・憲法19条(思想及び良心の自由)、
・君が代が「天皇の治世」を賛美する、
・「君が代」が戦争をイメージ
リベラルと呼ばれる方々はそう主張し、
起立を拒み続けます。
「戦争をイメージするから」と起立を拒む大人たち。

スポーツの国際大会でさえ、
「戦う前にあんな葬式みたいな曲を流すな」
「気分が落ちていく。戦う前に歌う歌じゃない」
そう言い放つ選手の声が、紹介されることもあります。
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ここで、10年以上前の、ある出来事を思い出します。

サッカーの日韓戦の試合後のこと。
国旗・国歌斉唱の時に、1人だけ胸に手を当て、
声に出して歌う「カズ」こと三浦知良選手に、
ある記者がこんな質問をしました。
「韓国では日の丸や君が代には、
過去の軍国主義の象徴という意味もあるのを御存じですか」
するとカズは、毅然とこう切り返したそうです。
「自分の国の国旗や国歌に敬意を表さない人が、
他国に対して敬意を表する事ができますか」
カズの言う通り、国歌とは本来、
自国への誇りであり、
他国へ敬意を払うための第一歩です。
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*ちなみに、君が代を歌う時に胸に手を当てる作法は、
アメリカなど外国で行われている習慣が、
スポーツの国際大会などを通じて日本にも広がったものですが、
日本の本来の 国旗・国歌斉唱 の正しい姿勢は、
帽子を脱いでまっすぐ立ち、
手は胸に当てず、体の横に自然に下ろすこと。
そして、小さな声ではなく、
はっきりと声に出して歌うことが大切とされています
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ボクは思うんです。
もし私たちの国歌が、
戦争や血生臭い言葉で 埋め尽くされているなら、
歌いたくないという人たちの気持ちもわかると。
実際に、世界に目を向けてみてください。
よその国の国歌は、こんな言葉で溢れています。
フランス「不潔な血が私たちの溝を潤さんことを」
イタリア「隊伍を組もう 我らは死ぬ覚悟がある」
中国「たて奴隷になるな」
アメリカ「弾丸降る戦いの庭」
世界の国歌の多くは、敵を倒し、血を流し、
死を覚悟する「戦いの歌」です。
そうやって国民意識を高揚させてきた歴史があるからです。
もし日本の国歌が、
そんな惨たらしい表現の並ぶ歌だったなら、
ボクだって言います。
「そんなん歌うか!」
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ボクたちが教えられてきた「君が代」の姿は、
果たして真実なのでしょうか?
『君が代』のルーツは、
今から1000年以上前、
平安時代の『古今和歌集』にまでさかのぼります。
ここに出てくる「君」とは、天皇や、
特定の支配者のことではありません。
【あなたにとっての、敬愛すべき大切な人】のことです。
「わが君は 千代に八千代に さざれ石の いはほとなりて 苔のむすままで」
これを現代の言葉に訳すと、こうなります。
『私の大切なあなたよ。 どうか千年も八千年も、
小さな石が固まって巨石になり、
そこに苔が生えるくらい、ずっとずっと長く、 元気でいてください』
これ、戦争の歌なんかじゃないんです。
1000年の時を超えて届いた、
大切な人への「究極のラブレター」なんです。
鎌倉時代も、江戸時代も。
お祭りや宴会の席で、あるいは門付の物乞いの人たちでさえも。
日本の庶民たちが、愛する人の長寿と幸せを祈って、
ずっとずっと歌い継いできた、
ただの優しすぎる愛の歌なんです。
敵なんて、どこにも出てこない。
血の匂いなんて、一切しない。
ただ目の前の人の「平和」だけを祈り続けてきた歌。
だから、「君が代を歌えば戦争につながる」
なんて議論は、最初から成り立たないんです。
世界中を探しても、 こんなに平和で、敵が存在しない国歌は珍しく、 世界の国歌コンクールで1位に 選ばれたことがあるのも頷けます。
次にあなたが『君が代』を耳にする時。
どうか、あなたの隣にいる大切な人、 大好きなあの人の顔を思い浮かべてみてください。
ボクたちは、本当に優しくてステキな国に、 住まわせていただいているんですね。