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2026/08/26 09:33
終戦から5日後。9人の乙女たちが、
自ら命を絶たなければならなかった理由。
北海道の最北端、稚内。
そこから海を隔てて肉眼で見える大きな島、「樺太(カラフト)」。
当時の樺太の南半分は、日本の領土でした。
本土が激しい空襲に見舞われる中、樺太は空襲の被害もなく、 親戚を頼って疎開してくる人もいるほど、穏やかな日常があったんです。
隣接するソ連とは「お互いに侵攻しない」という条約を結んでいたから。
しかし、81年前の夏。
日本の敗色が濃くなった8月9日、ソ連はその条約を一方的に破り、突如として侵攻を開始しました。
そして8月15日。玉音放送が流れ、日本中が「やっと戦争が終わった」と涙したその後も……
樺太の悪夢は終わるどころか、ソ連の侵攻は全く止まらなかったんです。
8月20日。 樺太の西海岸にある美しい港町、「真岡(まおか)」。 そこに、真岡郵便電信局がありました。
当時の電話は、「交換手」と呼ばれる10代から20代の若い女性たちが、 手作業で線と線を繋ぐことで初めて通話ができていました。 だからこそ、彼女たちは電話を繋ぐ仕事を通して、あらゆる情報を一番リアルにその耳で聞いていたんです。

侵攻してきたソ連兵が各地で何をしているのか。 罪のない人々への略奪や虐殺、そして女性に対する想像を絶する暴行……。
地獄のような状況を、彼女たちはすべて把握していました。
そして運命の8月20日、ついに真岡の町にもソ連軍が上陸しました。
ドーン!
という砲撃音とともに、窓のカーテンのすぐ外にまで、
完全武装したソ連兵が迫ってくる。
銃声と怒号が飛び交い、今にも電話局の中に突入してこようとしている。
もし捕まれば、自分たちも絶対に凌辱され、無惨に殺されてしまう。 逃げ場など、どこにもありませんでした。
極限の恐怖と絶望の中で、若き乙女たちが選んだ決断。
それは、敵の手に落ちて日本女性としての誇りを汚されるくらいならと、「自ら命を絶つ」ことでした。
あらかじめ用意していた青酸カリを口に含み、次々と倒れていく仲間たち。 薄れゆく意識と激しい苦痛の中で、彼女たちは最後の力を振り絞って通信機に向かいました。
そして、本土の北海道・稚内へ向けて、震える手で、涙声で、こう打ち続けたんです。
「皆さん、これが最後です。さようなら、さようなら」
プツッ……。
まだ10代、20代の若さでした。 どんなに怖かったことでしょう。どんなに生きたかったことでしょう。 お母さんに会いたかったはずです。
昨日まーちゃん(鈴木まさひろさん)からこの事実を教えてもらった時、 胸が締め付けられました
同時に、激しい「恥ずかしさ」に襲われました。
すぐ対岸の北海道の人たちでさえ、そして現代を生きるボクたち日本人のほとんどが、 こんなにも悲しく、誇り高い日本の女性たちの最期を「知らないまま」生きてしまっている。
歴史の教科書には一行も載っていない。 どこかで「誰かがやってくれる」「昔のことだから」と、無意識に目を背けていたボクのリアル。
ボクたちが真実を知り、涙を流し、心に深く刻むこと。
そして、彼女たちの声なき声を決してなかったことにせず、命の襷(たすき)として次の世代へ語り継いでいくこと。
それこそが、平和な今を生きるボクたちにできる、最高の供養であり、恩返しになると思うんです。
「当日参加できなかった」「もう一度、あの熱量に触れて深く学び直したい」 そんな皆さんのために、アーカイブ(録画)視聴をご用意しています。
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『戦後アメリカによって何が行われたのか』 歴史の裏側を旅する理容師 鈴木まさひろ
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